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雑誌「数学セミナー」の8月号に掲載の、「詰将棋の世界」の連載第5回について感想とかを書きます。
詰将棋の世界についてこのブログに書くのは久しぶりになります。
「数セミ」はすでに12月号まででていますので、中々連載に追いつきませんね^^
でもめげずに根気よくブログを投稿していきたいですね!
詰将棋の世界第5回には、第4回に出題された詰将棋の解答・解説が掲載されています。
本題に入る前に、いつものように、どんな感じの解説がされているかについて、軽く触れておきましょう。
改めて思うのですが、問題の解説は分かりやすいですね。
第4回出題の問題はどちらも3手詰めで、第一問は攻め方の持ち駒は角と金です。
最初に金を打ってもうまくいかない理由を解説し、「では角をどこに打つ?」という風に話を展開します。
角を使う必然性が分かりやすくて素晴らしいです。
これなら将棋や詰将棋に詳しくない人でもかなり理解しやすいかもしれませんね^^
通常の詰将棋の本でも、入門書などであれば同様な分かりやすい解説はあるのかもしれませんが。
機会があったら詰将棋の本を書店で読んで、比べてみたいですね。
「詰将棋の世界」で扱われている詰将棋は、詰将棋の雑誌である「詰将棋パラダイス」を出典としていることが多いです。
第4回の第ニ問として出題された作品は、3手詰めの傑作でした。
なんと、3手詰めなのに詰将棋で最高の賞を受賞しているとのことです。
私は多分、「詰将棋の世界」を読んでいなければ知ることがなかったと思うので、この連載に感謝です。
詰将棋の世界の解説では、最初に正解手順が書かれていることが多いのですが、この問題に関してはちょっとした仕掛けがありました。
はじめにもっともらしい手順が書かれているのですが、文末に「(?)」と書かれているのです。
思わず、「えっ、正解じゃないの?」とか思ってしまいますよね。
実はその手順は勝って読みで、玉方にうまい応手があって詰まないのです。
そのうまい手というのは、「中合い」の手筋というものです。
何もないところに合い駒を打つ手で、本将棋でもたまに出てきますので、知らなかった方は是非勉強してみてください^^
正解の手は目から鱗で、解答には、符号の後ろに「!」マークがついています。
「5ニ銀(!)」みたいな感じです。
(実際の正解手は別の手ですけど。)
このように、詰将棋の解説にも色々な工夫ができるものなのですね。
これまでは3手詰めが出題されていましたが、第5回からは5手詰めの問題も出題されるようになりました。
著者の先生によると、5手詰めには3手詰めにはないストーリーがあって、難しくなるけれども楽しさもその分上がるとのことです。
いよいよ本気を出してきたという感じでしょうか。
因みに私は現時点で11月号まで読んでいますが、かなり手ごわい難問がありました。
さて、それでは肝心の、第5回の内容についてです。
詰将棋マニアが使う用語「変化別詰」、略して「変別」、そして「変別論争」の話がでてきました。
詰将棋マニア間の論争とは、そしてその歴史的な意義とは?
このあたりのことがポイントとなっています。
第四回にも、似たような用語が登場しましたね。
それは、「変同」と「変長」でした。
変同・変長に対する、変別の違いは、簡単にいうと次のようになります。
変同・変長が、玉方の正解手の候補が色々あることであるのに対して、変別は攻め方の手が色々あること。
非常に大雑把な表現になってしまいましたけれど(笑)。
大事なのは、変別とは、攻め方が最善ではない方法で、詰ました結果、駒余りなしで詰ますことです。
変化別詰、あるいは変別は、どうして問題になるのか、不思議に思われたかもしれませんね?
さきほどの説明だけからは、「ただの不正解」に過ぎないとしか思えませんからね。
変別は、詰将棋の解答者が正解と思い込んでしまった手順と見ることができます。
そして、変別が問題となるのは、そのような解答を、不正解扱いするかどうかという、採点(?)の場においてなのです。
変別を不正解扱いするか否かをめぐって、かつて論争があったそうです。
不正解にしない派の主張は、そもそも詰将棋とはどうやって玉を詰ますかの問題であり、変別を答えた人も、玉の詰まし方は読み切っているのだから、正解にすべき、というものでした。
しかし、「変別」の手順は、連載の初期の頃に解説されていた「詰将棋の正解」とは異なります。
このことからも分かるように、変別は現在では不正解とすることが定着しています。
第5回詰将棋の世界では、変別の例が2つほど解説されています。
ここでは、それらの例から、変別がどうして本手順と間違われるのかについて私なりにまとめておきます。
これにより、皆さまが「数セミ」を手に取ったときにより分かりやすくなればと思います。
変別を正解と思い込むとき、解答者は何を間違っているのでしょうか?
詰将棋の正解手順というのは、攻め方・玉方双方が「最善手」を指すものなので、「最善」を判断し損ねているといってよいでしょう。
具体的には、次のような間違いです。
一つ目の、手数の長さの判断ミスというのは、次のような感じです。
攻め方の候補手のうち、本来なら本手順である方の手に対する、玉方の応手を間違える。
その結果、手数を過小評価してしまう。
さらに、変別側の変化で、玉方の応手として最善の手を見つけられず、その結果手数を過大評価する。
結果として、本来の正解手順よりも長い手順の詰みを、正解と判断してしまう。
二つ目においては、変別は本手順と手数は同じです。
しかし、攻め方の駒が余るような応手が玉方側にあり(手数は本手順と同じ)、そのため変別の手順は最善ではない、という感じです。
この二つ目の変別の例はかなり難しく、特別に正解扱いされたそうです。
変別論争は結局、変別は原則不正解扱いにするという形で決着したそうです。
第5回詰将棋の世界では、このことは、詰将棋が本将棋の終盤の練習問題からパズルへと昇華していった結果であると指摘されています。
この詰将棋の進化について、私なりにもう少し掘り下げてまとめてみます。
まず、詰将棋は江戸時代に、「妙手優先」のルールがありました。
ルールこそあいまいだったものの、江戸時代の時点から長手順の作品も存在しました。
単なる実戦上達のための練習のレベルを超えた作品や、「妙手優先」などの美意識の存在。
これはすでに詰将棋が芸術であったことを意味します。
近代になって、新聞や雑誌の問題に一般の読者が応募するようになりました。
それに伴い、採点をしやすくするために、「妙手優先」よりも明確なルールが必要となりました。
その結果、詰将棋の作品としての完全性や、出題者側が用意する詰将棋の「正解」に明確な基準ができました。
やがて雑誌などで高度な詰将棋も扱われるようになりました。
解答者側が「変別」という、採点者にとっては頭ごなしに不正解にしがたいような解答を送ってくるようになりました。
「用意した正解とは違うけれど、これも正解といってよいのか?」という葛藤が生まれます。
やがて「変別」を正解とするべきかという論争がおきました。
論争が決着し、変別が不正解扱いになったことで、詰将棋を解くという行為は、一つに決まっている正解を見つける作業となりました。
それにより、一つしかない正解手順を楽しむパズルという側面が際立ちます。
現在の詰将棋愛好家たちは、このパズル的な面を楽しんでいると思われます。
連載では述べられていないけれど、重要と思われることを書いておきます。
正解が明確になり、採点も明確にできるようになったことから、詰将棋は「競技」になることもできるようになりました。
そして、詰将棋の大会が行われるようにさえなったわけです。
藤井四段らの活躍によって話題になった「詰将棋解答選手権大会」も、歴史はまだ比較的浅いです。
新聞や雑誌への掲載と回答応募などの大衆化と、変別論争などの議論を経て鍛えられていった結果、このような競技化の実現が可能となったものと思われます。
いずれにしても今や、詰将棋には、終盤の練習、芸術、パズル、競技用の問題、といった、様々な側面があることは間違いないです。
現代化され、パズルや競技へと進化していった詰将棋を、これからも楽しんでいきたいですね^^
いかがでしたか?
ところで余談になってしまいますが、詰将棋のマニアって、どういう層なのでしょうか?
詰将棋作家みたいな人たちなのか、単に「詰将棋パラダイス」などを毎号解いている人たちなのか?
きっと詰将棋の大会などに出れば色々分かるのでしょうね。
いつかは出てみたいものです。
それから、「数セミ」の12月号については、私は先週末に本屋で買おうとしたのですが、なかったのでまだ手に入っていません。
ブログのためにも、他の書店などで手に入れておきたいですね^^