詰将棋のルールの歴史的変遷について学べる「詰将棋の世界」連載第4回

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今更ですが、数学雑誌「数学セミナー」の2017年7月号に掲載の、「詰将棋の世界」の第4回について、記事にします^^

 

数学セミナー誌や「詰将棋の世界」について知りたい方は、このブログの過去記事を参照していただければと思います。

 

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第4回「詰将棋の世界」では、「変化同手順」と「変化長手順」を解説

 

第4回の副題は、詰将棋のルール(3)です。

 

 

少し振り返っておくと、まず、第2回では詰将棋のルールの原則が解説されていました。

詰将棋の「正解手順」、専門的にいうと「本手順」は、攻方、玉方がそれぞれ「最善」の手を交互に指していく手順のことでしたね。

 

 

第3回では、いくつかの詰将棋用語が解説されました。

特に重要だったのは、「余詰め」というものがある作品は、詰将棋として成立しないということ、ただし「非限定」などの例外が存在することでした。

 

より詳しいことが知りたい方はこのブログの過去記事か数学セミナーのバックナンバーを読むことをおすすめしておきます^^

 

 

 

それでは、第四回の連載の話に入りましょう!

 

 

変化同手順について–詰将棋の正解は一つと限らない

 

第四回では、まず「変化同手順」という概念が、具体的な問題の図面とともに説明されています。

 

 

解説を読んで私が理解したところによると、変化同手順とは、次のようなものです。

 

攻方の手に対して、玉方の「最善手」が複数あること。つまり、そのどちらの手を玉方が選んだとしても、同じ手数で詰み、しかもどちらの手順でも駒が余らないこと。

 

要するに、第2回で定義された正解手順、つまり本手順が一通りに決まらないときに、「変化同手順がある」というのですね。

変化同手順は、「変同」と省略されます。こういう知識を吸収していくと、だんだん自分が玄人になっていくような錯覚がして楽しいです(笑)。

 

ここで、「正解が1つに決まらないなんて」、と思う方もいるかも知れませんね^^

でも確かに、第2回で定義された「正解」に一致するので、「変同」はあっても良いのです。

 

「余詰め」と「変化同手順」の違いについて

 

ここまで読んできて、読者の皆さんは疑問をもっているかも知れません。

 

前回は「余詰め」は排除されるという、手順が複数あることがいけないというような話の流れだったのに、今回複数手順があってもOKという話になっています。

このことが、皆さんを大きく混乱させていることでしょう。私自身、最初は混乱しました。

 

 

第4回連載には、「余詰めがある作品は詰将棋とは認められないけれど、変同がある作品は不完全とはみなさない」という記述があります。

 

 

ここで、ちょっと確認をしておきましょう。

 

第3回連載で問題にしていたのは、前者、つまり「余詰め」でした。

そして今回紹介している第4回連載では、後者、すなわち「変同」が扱われています。

 

どちらも、最善手が枝分かれしてしまうのが特徴ですね。

 

 

では異なる点はどこにあるのか?答えは、ずばりこうです。

 

 

余詰めでは、攻め方の「最善手」が複数あります。

それに対して、変同では、玉方の「最善手」が複数あります。

 

より正確にいうと、最善手が複数あるために、正解である可能性のある手順が
途中から枝分かれしているときの、その枝分かれのもとが、
攻め方の手(したがって奇数番目の手)であるか、玉方の手(したがって偶数番目の手)
であるかの違いです。

 

今回の連載に書かれているところによると、詰将棋の歴史の歴史の中で、余詰めは最初から排除されていたそうです。

一方、変同は現在でも許容とされています。

 

 

紛らわしい位似ている両者が、何故こうも扱いが異なるのでしょうか?実に不思議ですね(?)。

 

思うに、攻め方の手が複数あると、一つしかない場合に比べて正解しやすくなってしまい、
「詰ます方法を当てる問題」としての難易度が下がってしまうからではないでしょうか?

つまり、余詰めがある問題は、つまらないとみなされるのでしょう。

 

第4回「詰将棋の世界」では、詰将棋の歴史的変遷についても触れられている

 

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詰将棋に歴史あり–妙手優先ルールの廃止や変化長手順の扱いの変化

 

変化長手順、略して「変長」というものも紹介されていました。

 

変長がある、というのは、玉方の応手が複数あって、そのどちらに対しても、駒余りなしに詰ますことができて、
それらの手順の手数が異なる場合のことを言います。

 

 

連載では、変長が部分的に許容とされてきた歴史について説明がされています。

 

 

その他、駒余りがOKだった時代があるという話もありました。

 

さらには、「妙手優先」という凄いルールが江戸時代にはあったそうです。

連載では、実際にその例として問題が紹介されています。

その問題では、玉方の応手によって、9手で詰むか19手で詰むかが変わります。。

 

現代なら、当然19手の方が正解とするところですが、その手順はつまらないものです。

それに対して、9手で詰む手順は、攻め方の手に妙手が現れます。

 

 

そこで、見事な妙手がでてくる9手の手順の方を、本手順、つまり正解とするのが「妙手優先」のルールです。

 

そのように、かつては詰将棋も「おおらか」だったと述べられていました。

 

詰将棋の新聞掲載がルールが明確化されるきっかけに

 

それでは、おおらかだった詰将棋のルールが、明確になっていったのは何故なのでしょうか?

 

 

現代を生きる我々にはむしろ、このような明確化は当然と思えるかもしれません。

 

というのは、今や詰将棋は、「詰将棋解答選手権」のような「競技」としての一面もあるからです。

 

 

実は、詰将棋のルールが明確になっていった背景にも、「競技」に近いものがあったのです。

 

その背景とは、今回紹介している回の「詰将棋の世界」や、それ以前の連載でも触れられた、
詰将棋の新聞や雑誌への掲載です。

 

「応募」する文化が浸透したことにより、ルールの明確化が必要になったそうです。

 

現在でも将棋雑誌「将棋世界」などは、応募して正解した人の名前を掲載したり、抽選で景品が
あたったりします。

 

近代に入り、徐々にそのような「文化」が生まれていった結果、詰将棋という文化・芸術自体も
より洗練されていったわけですね。

 

メディアの発達がもともとあった伝統文化を刺激した、という、ちょっと楽しい話ですね。

 

文化・文明の発達という、歴史の教科書とかでしか知らないようなことについて、将棋や詰将棋
という身近な題材のおかげで実感できて、少し賢くなった気分です^^

 

まとめ

 

いかがでしたか?

 

今回は、久しぶりに「詰将棋の世界」のことを書いてみました。

 

今回紹介した回に限らず、「詰将棋の世界」では、詰将棋のことを、その歴史も
含めて、なるほど、と思いながら勉強できます。

 

「詰将棋の世界」が読める「数学セミナー」は、書店によってはバックナンバーも
売っていますので、是非読んでみてください。

 

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