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将棋のプロ棋士の中には、大学出身の方もいることはだんだんと広く知られるようになってきていると思います。
棋士であり学生でもある、という状況を経験した棋士が、どのように歩んできたか、気になりますよね。
今回は、高学歴棋士の一人である、広瀬章人八段の学生時代の棋士としての歩みについて、まとめてみました。
より詳しく・深く知りたい方のために、今回情報源として使用した、インターネット上にある資料や書籍もあわせてご紹介します。
目次(もくじ)
広瀬八段は、早稲田大学の出身です。
いつ入学したのか、将棋棋士にはいつなったのか、また、何を学ばれたのか気になりますよね。
広瀬八段が大学受験した時期は、三段リーグを戦っていた時期でもありました。
推薦入試で受けた大学受験に合格し、三段リーグでも四段昇段つまりプロ棋士デビューを決めました。
そして、2005年度に大学と将棋の世界にデビューされました。
広瀬章人四段(当時)が入学したのは、早稲田大学の教育学部理学科数学専修でした。
現在では、名称が変更されて、「教育学部数学科」となっています。
もともと算数や数学が得意だったそうで、大学では数学を選択されたそうです。
このあたりについては、詳しくは、以下の本に書かれています。
数学セミナー編集部, 「数学ガイダンス2018」, 数学評論社.
この本は、教育学部や推薦入試を選んだ理由、入学後の勉強についての感想やゼミの話なども書かれていておすすめです。
現在、順位戦でA級棋士で、他の棋戦でも上位の成績をあげる活躍をみせている広瀬先生。
新人時代からかなり活躍して、大学でも注目されていたようです。
広瀬章人先生は、四段昇段から2年で五段に昇段しています。
2007年、2回目の参加だったC級2組順位戦で9勝1敗という好成績をおさめ、C級1組への昇級を決めました。
プロ将棋の世界では、順位戦の昇級による昇段の制度があるので、その規定により昇段したわけです。
昇段の日付は2007年4月1日なので、大学3年生になる同時に五段になったのでした。
2007年の11月29日には、早稲田大学内の広報誌「Waseda Weekly」にとりあげられたようです。
今でも、その記事はオンラインで読めます。
参考ページ(外部リンク): ぴーぷる 将棋棋士 廣瀬章人さん
さらに2年後の2009年には、広瀬五段(当時)は、新人王戦で優勝しました。
相手は、同じく早稲田大学の学生だった中村太地四段(当時)でした。
中村四段(当時)のことを取りあげた「Waseda Weekly」の記事がオンラインで読めます。
参考ページ(外部リンク): ぴーぷる プロ4年目、日々精進の学生棋士 中村太地さん
この中で、広瀬五段(当時)との新人王戦のことも少しだけですが触れられています。
ちなみに、広瀬先生と中村先生は、2012年に対談もしています。
参考ページ(外部リンク): 早稲田棋士 未来を担って躍進(前編)
棋士として本音や、学生時代のことも触れられていて楽しいです。
なお、広瀬先生は、6年間かけて早稲田を卒業したので、この新人王戦の時点で、現役学生でした。
大学は標準では4年で卒業なので、少し多めに時間がかかっています。
しかし、このことが、ある快挙につながりました。
広瀬章人先生は、2010年6月11日に六段に昇段します。
これは、当時深浦康市先生がもっていたタイトル、「王位」への挑戦を決めたことによるものと考えられます。
その後、深浦王位(当時)との7番勝負に勝ち、王位を奪取しました。
これは広瀬先生のプロ棋士デビュー6年目、そして大学生活6年目のできごとでした。
このことは、大学のwebサイトでもニュースとして公表されました。
参考ページ(外部リンク): 教育学部の広瀬章人さんが将棋7大タイトルの『王位』を獲得
現役大学生が将棋のタイトルホルダーになるのは、初めてのできごとだったそうです。
なんと大学から賞もでています。
参考ページ(外部リンク): 広瀬章人王位が早稲田大学「小野梓記念賞<特別賞>」を受賞
ちなみにこの快挙は、いまだに他の棋士には達成できていません。
糸谷八段が竜王をとったときは、大学生ではなく、大学院生でした。
これはこれで偉業ですが。
また、高見叡王は、立教大学卒業後1年と少しでタイトル獲得しました。広瀬先生の偉業に一番肉薄した棋士ではないでしょうか?
将棋の世界で素晴らしい実績を築いた上でのこととはいえ、標準よりも2年遅い卒業となった広瀬八段。
やはり、将棋のプロをやりながらの学業は、大変なのでしょうか?
学業(高校や大学など)をしながら棋士を志す予定のある人やそのご家族であれば、ここまで読んできて不安になってしまったかもしれませんね。
そのような方を想定して、フォローを書いておきます。
確かに、将棋と学業の両立はかなり大変だと思います。
理系、特に数学の場合だと、かなり正確な理解が求められ、試験やレポートでシビアに試されます。
将棋の勉強をしながら数学の勉強までするのは、結構な負担であると想像できます。
ただ、広瀬八段の場合は、大学1, 2年生のときに、授業に対するモチベーションが下がってしまったことが、原因だったようです。
五段昇段が決まった後の3年生のころに、「反省」して真剣に勉強するようになってからは、授業についていけるようになったそうです。
ですので、学業との両立は、モチベーションを保つことさえできれば十分に可能だと考えられます。
その上で、棋士を目指すほどの頭脳があれば、やり方次第でついていくことができるはずです。
広瀬先生が大学進学を考えた理由は、将棋以外の世界を知りたい、というようなものでした。
モチベーションを落とさないためにも、興味のあることを専門に選ぶことが大切かもしれませんね。
広瀬先生は、通常よりも2年遅れての卒業でしたが、ゼミに入ったのは4年生で、「1年遅れ」とのことでした。
ゼミの先生は、将棋が好きな方で、また、ゼミの発表の準備などの際には先輩が助けてくれることもあったとのこと。
ですので、良好な環境で、充実した勉強ができたようです。
そもそも大学の場合、単位を落としたり留年したからといって、必ずしもそれがマイナスになるとは限りません。
例えば、留学など色々な経験をするために、あえて留年する人もいるという話もあります。
大学というのは、そのような多様な生き方を知って見聞を深めるためにこそ、行くべきなのだと思います。
現役大学生棋士、というのもそのような多様性の一環として広くしられていってほしい存在ですね。
広瀬先生の歩みは、大学に通う棋士や棋士志望の若者たちにとっての、道しるべになることでしょう。
今回は、広瀬章人八段の早稲田大学時代の棋士として、学生としての歩みをまとめてみました。
参考にしたサイトや書籍も紹介しておきました。
それにしても、将棋の世界で活躍しながら、大学も卒業するというのは、非常に立派なことですね。
もちろん、将棋一本に集中するのもすごいことですし、将棋をしながらでなくても、大学で一生懸命勉強するのは素晴らしことだと思います。
我々将棋ファンも、将棋以外のことも含めて、棋士の先生たちの生きざまから学んだことを活かしていきたいですね^^
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