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「全棋士参加棋戦優勝」による昇段規定。
藤井聡太五段(当時)が、朝日杯で優勝して六段にスピード昇段したことによって広く知られるようになりました。
これは実は、意外と最近できた昇段ルールで、最初の例は2008年度です。
以下では、「全棋士参加棋戦優勝による昇段」の歴史というか、これまでにこの規定によって昇段した棋士について書かれています。
そのために必要な、2008年度以降の歴代の全棋士棋戦の優勝者(とついでに準優勝者)の情報も調べたのでそれらをもとにして書きました。
目次(もくじ)
まずはじめに、全棋士参加棋戦優勝による昇段の規定とは何かについて説明しておきます。
この規定での昇段については以前にも、将棋のプロ棋士の昇段規定と最近昇段した棋士をまとめてみように少し書きました。
上記記事では、他の昇段ルールについても書かれているので、興味のある方はご参照ください。
将棋界には、様々な昇段規定があります。
プロで一番低い段位である四段から、最高段位の九段になるまでに、色々な昇段ルートが存在します。
全棋士参加棋戦で優勝すると、一つ昇段できます。ただし、この規定による昇段は、七段昇段までに限られています。
「全棋士参加棋戦」とは何なのでしょうか?
将棋界の全棋士参加の公式戦といえば、まず8大タイトル戦(のうち名人戦以外)があります。
*注意: 名人戦(順位戦)については、フリークラス棋士は順位戦を戦わないので、「全棋士参加」とはいえません。
でも、「全棋士参加棋戦優勝による昇段」の場合は、タイトル戦でない棋戦、「一般棋戦」のうち、棋士全員が参加する棋戦のことを指します。
*注意: この一般棋戦という言葉は確か、青野先生の本で使われていました。
この意味での全棋士参加棋戦は現在、次の3つがあります。
朝日杯は、本戦が公開対局、銀河戦とNHK杯はテレビ棋戦で、どれも持ち時間が比較的少ない早指し棋戦ですね。
冒頭にも書いたように、全棋士参加棋戦優勝による昇段規定の最初の例は、2008年度です。
昇段したのは阿久津主税六段(当時)でした。
2009年2月14日に第2回朝日杯将棋オープン戦で優勝した結果を受けて、審議により七段昇段が決まりました。
参考ページ(外部リンク): 阿久津主税六段が七段に昇段(2009年4月1日付)
阿久津先生の七段昇段の日付は2009年4月1日となっていますね。その意味では、全棋士参加棋戦優勝昇段の最初の例は、「2009年度」といった方がいいかも?
もしもこの時点で、全棋士参加棋戦優勝による昇段のルールが存在すれば、そちらが適用されたはずですので、当時はまだこのルールがなかったわけですね。
もっというと、この阿久津先生の昇段が、「全棋士参加棋戦優勝昇段」の規定ができるきっかけになったものと考えられます。
阿久津先生の昇段が議論された理由としては、朝日杯将棋オープン戦の前身である「朝日オープン選手権」が、「準タイトル戦」という扱いだったことがあると思います。
大きな棋戦なので、六段でありながら優勝した阿久津先生には、「タイトル1期獲得」と同じ七段昇段が与えられたわけですね。
阿久津先生は、この「類まれなる成績」をあげた後も、活躍しました。
なんと2009年度の銀河戦でも優勝しています。
さらにその数年後、2014年にはA級昇級して八段になりました。
朝日杯優勝を受けた七段昇段の決定は、阿久津先生の、そのようなトップ棋士としての活躍を予期してのものだったのかもしれませんね。
優れた棋士には実力にみあった評価を与えようとする将棋界の良さがあらわれている話だと思いますがいかがでしょう?
ところで、阿久津先生が「東の王子」と呼ばれていたのはいつごろだったのでしょうか?
第2回朝日杯優勝の2008年の時点で、すでに中村太地先生(現在王座)がすでにデビューしていました。
「東の王子」の異名は、もう受け継がれてしまっていたのか、そうでなかったのか、個人的にはちょっと気になります^^
さて、朝日杯優勝により昇段した棋士は、阿久津先生の他に2名います。
歴代優勝者の表を示します。
年度 | 優勝者 | 肩書 | 準優勝者 | 肩書 |
2017 | 藤井聡太 | 五段 | 広瀬章人 | 八段 |
2016 | 八代弥 | 五段 | 村山慈明 | 七段 |
2015 | 羽生善治 | 名人 | 森内俊之 | 九段 |
2014 | 羽生善治 | 名人 | 渡辺明 | 二冠 |
2013 | 羽生善治 | 三冠 | 渡辺明 | 二冠 |
2012 | 渡辺明 | 竜王 | 菅井竜也 | 五段 |
2011 | 羽生善治 | 二冠 | 広瀬章人 | 七段 |
2010 | 木村一基 | 八段 | 羽生善治 | 名人 |
2009 | 羽生善治 | 名人 | 久保利明 | 棋王 |
2008 | 阿久津主税 | 六段 | 久保利明 | 八段 |
2007 | 行方尚史 | 八段 | 丸山忠久 | 九段 |
八代弥五段(当時)の優勝による六段昇段に続く次の年に、藤井聡太五段(当時)がやはり優勝し六段昇段したわけですね。
羽生世代や渡辺明先生らが長く君臨してきた棋戦ですが、若手の活躍が目立つようになってきた印象です。
その他にこの表で注目したいのは、2012年の菅井竜也五段(当時)の準優勝です。
菅井先生はその後、2017年にタイトルホルダーになったトップ棋士ですが、2012年度の時点で、全棋士参加棋戦優勝と六段昇段まで後一歩という活躍をしていたわけですね。
NHK杯の優勝によって、「全棋士参加棋戦優勝」の条件を満たして昇段した棋士は、まだいません。
というのは、2008年度以降の優勝者がみな七段以上だからです。
2015年に優勝した村山慈明七段は、すでに決勝の時点で七段でした。
その決勝の相手の千田翔太五段(当時)は、優勝していたら全棋士参加棋戦優勝で六段昇段でしたが、惜しくも逃しました。
その他、2016年の佐藤和俊六段、2009、2010年の糸谷哲郎五段(当時)は、いずれも準優勝で、やはり優勝による昇段はならず。
「西の王子」山崎隆之先生は、2004年度、六段だったときにNHK杯で優勝しましたが、当時はまだ全棋士参加棋戦優勝昇段の規定はありませんでした。
山崎先生は、「叡王」になったことがあるものの、「叡王戦」がタイトル戦になる前だったとか、タイミング的にちょっと残念な経験をされています。
叡王について、佐藤康光会長に「さかのぼってタイトルをとったことにしてもらえませんか?」といったこともあります(叡王戦7番勝負第1局現地解説会の際)。
もちろん冗談なのですが、棋士にとってタイトルというものがどれほど大きいものであるかを示す話ともとれます。
銀河戦でも、七段以上の棋士の活躍が目立ちます。
その中でも、2011年に糸谷哲郎五段(当時)が準優勝するなど、若手の活躍もみられます。
2013年には、稲葉陽六段(当時)が優勝しました。
稲葉先生は、2013年8月16日の対局の勝利により七段昇段しています。
参考ページ(外部リンク): 稲葉陽六段が七段に昇段
この日に行われたのが、第21期銀河戦決勝の稲葉陽六段-橋本崇載八段戦なのです。
上記サイトには、「規定の成績」としか記述がありませんが、これは「全棋士参加棋戦優勝」とみて間違いないでしょう。
いかがでしたか?
今回は、(タイトル戦以外の)全棋士参加棋戦優勝による昇段の規定に関連して、情報を書きました。
朝日杯、NHK杯、銀河戦での優勝により昇段した棋士や、惜しくも優勝・昇段できなかった棋士を挙げました。
若手棋士たちが活躍をみせる今の将棋界で、今後は優勝によって昇段する若手棋士たちが少しずつ増えていくかも知れません。
タイトル戦や若手棋士のみの棋戦も熱い戦い話題が次々でてきますが、朝日杯、NHK杯、銀河戦にも注目しておきたいですね!