【当サイトの記事はPRを含む場合があります。】
第77期のA級順位戦が最終局まで終了しました。
豊島将之ニ冠が久保利明九段に勝利したため、
単独トップの成績となり、名人戦の挑戦権を獲得となりました。
豊島ニ冠、おめでとうございます!
豊島ニ冠は、1990年4月生まれので28歳の若手棋士。
平成生まれの棋士が名人戦の舞台にでるのは、
初めてだそうですね。
一方の佐藤天彦名人は、31歳。
2019年度の名人戦は、20代と30代の棋士の勝負になります。
これはかなり久しぶりのことのようなのですが、
前に名人戦の舞台で、20代棋士と30代棋士が戦ったのは、
いつで、誰と誰の勝負だったのか、調べてみました。
なぜそんなことに興味があるのか、
不思議に思われたかもしれませんね。
この気持ちをうまくは説明できませんが(笑)、
興味をもったきっかけは、2期前の、第75期名人戦における、
ある事実にあります。それは次のようなものです。
第75期名人戦で名人のタイトルを争ったのは、
佐藤天彦名人と稲葉陽八段でした。
20代の若手棋士同士の対局だったのですが、
なんと、20代の棋士同士の名人戦は、
21年ぶりだったそうです!
【参考ページ(外部リンク)】 【マンスリー将棋】21年ぶり20代対決の名人戦
第75期の前に名人戦で20代だったときは、第54期名人戦で、
羽生善治名人(当時)に森内俊之八段(当時)が挑戦しました。
第77期にあたる現在では50代が近づきつつある羽生世代が、まだ20代だった頃なのだから、
なるほど、それくらい昔の出来事であるわけですね。。
第75期以前の名人戦は、かなりの期間、ほぼすべて羽生世代の棋士同士で戦われていました。
たまに、羽生世代よりも下の年代の棋士たちが挑戦者になりましたが、
かなり近い年代の棋士たちでした。
ちなみに、その羽生世代以外の棋士とは、
三浦弘行八段(当時)と行方尚史八段で、
どちらも当時名人だった、羽生善治・現九段に挑戦して退けられています。
それと、羽生世代よりの上の世代の棋士である、
谷川浩司九段が登場したことも何回かありました。
第54期の時点ではまだ20代だった羽生世代も、
30代になり、将棋界の世代交代がないまま
40代になっても名人戦に登場を続けていたのです。
だから、20代同士の名人戦はずっとなかった。
その状況を変えたのが、佐藤天彦八段(当時)の、
第74期の名人戦挑戦であり、羽生名人(当時)からの
奪取成功であり、第75期の稲葉八段の挑戦でした。
そして今、30代になった佐藤天彦名人が、
20代にしてすでに将棋界トップのニ冠王となっている、
豊島ニ冠の挑戦を受けて立とうとしています。
20代と30代による名人をかけた戦いですね(^^)
名人戦におけるこのような事態は、以前はいつ起きていたのでしょうか?
どうでしょう、気になってきませんか?
結論からいってしまうと、21年ぶりになります。
1998年度の、第56期名人戦です。
谷川浩司名人(当時)に、佐藤康光八段(当時)が
挑戦しました。
谷川先生は、1962年生まれですので、当時は36歳ということになります。
その2期後の、丸山忠久名人(当時)と谷川浩司九段の名人戦7番勝負になると、
もう羽生世代は30代に突入しているんですね。
このことは、故・米長邦雄永世棋聖の観戦記のタイトルからもわかります。
【参考ページ(外部リンク)】「丸山忠久名人30歳。謎の男」
ちなみに、第56期名人戦の次の第57期名人戦でも、
佐藤康光-谷川浩司という顔合わせだったのですが、
羽生先生や丸山先生と同じ羽生世代に分類される棋士でも、
佐藤康光先生は学年が一つ上なので、
第57期ですでに30歳だった計算になります。
というわけで、佐藤天彦-豊島将之の対戦となる
第77期名人戦は、第56期以来、21年ぶりの、
30代棋士と20代棋士の戦いとなります。
豊島将之棋聖・王位が、第77期A級順位戦を
8勝1敗という成績で終え、
念願だった名人挑戦を決めました。
奨励会時代から競ってきたという佐藤天彦名人と、
第77期名人戦の7番勝負を戦います。
このシリーズは、30代と20代の名人戦となるのですが、
それは、谷川浩司名人(当時)と佐藤康光八段(当時)が
戦った1998年度の名人戦7番勝負以来、21年ぶりのことであることが、
今回調べてわかりました。
個人的には、過去の名人戦の記録を遡って調べることで、
将棋界の時代の変遷がわかり楽しめました。
何にしても、佐藤(天)-豊島による頂上対決となる
第77期名人戦が、とても楽しみです!