【当サイトの記事はPRを含む場合があります。】
佐藤天彦名人に豊島将之ニ冠が挑戦した第77期名人戦。
平成31年4月10日に開幕し、令和元年5月17日に決着しました。
結果は、挑戦者の豊島将之ニ冠が勝利。
三冠の名人が誕生しました。
豊島新名人は、29歳。
平成生まれの棋士が名人の座につくのは初めての出来事です。
今回は、このあたりのことについて、将棋界に詳しくない方にもわかるようになるべく配慮しつつ、色々とみていきましょう。
目次(もくじ)
これまで、平成生まれ若手棋士の名人が現れなかったのはなぜでしょうか?
まず第一に、名人戦で平成生まれの棋士が挑戦すること自体、
今回が初めてでした。
このことはニュースサイトなどにも書かれていたと思いますが、念のため確かめてみました。
豊島二冠以前に名人戦に登場した棋士の中では、稲葉陽八段が一番若い棋士です。
この稲葉陽八段は、1988年生まれです。
昭和の最後の年というのは、1989年なので、確かに、稲葉八段は昭和生まれということになります。
では、なぜ平成生まれが中々登場することがなかったのか?
他の棋戦には平成生まれ棋士がたまに登場していましたから、不思議に思うかもしれませんね。
以下、もう少し詳しくみていきたいと思います。
実は名人戦の場合、そもそも若手棋士が出るようになったこと自体がわりと最近の出来事なのです。
若手棋士が強いといわれている将棋界ですが、何年もの間、
名人戦に関しては、現在40代の棋士たちの出番が多いという状況でした。
(当ブログでは、以前にもこのことは書きましたね。同じことばかり書いてしまっている気が・・・。)
その棋士たちとは、羽生善治九段を中心とした、「羽生世代」やそれに近い世代の棋士たちです。
名人戦の挑戦者を決めるA級順位戦というリーグ戦は、ほとんど彼らによって占められています。
順位戦という棋戦で上位の成績をあげて下のクラスから昇級することを繰り返して、
A級まで上がってからでなければ、名人挑戦争いに参戦することすらできません。
そのような状況の中で、名人を獲得した若手棋士が、前名人である佐藤天彦・現九段でした。
しかし、その佐藤天彦九段も、昭和の最後の方の生まれでした。
先ほどでてきた稲葉八段についても同様です。
そんな感じで、平成のうちには、平成生まれの名人は誕生せず、
令和元年になって、ついに、豊島新名人誕生によって、実現となったのですね・・・!
ちなみに、羽生先生自身が若手だったころは、名人戦が若手棋士対決だったこともありました。
第54期の羽生-森下、第55期の羽生-森内、です。
A級の棋士たちというのは将棋界トップレベルの将棋を指せる上に、
1年を通してずっと強い棋士たちなので、その棋士たちの中で1番の成績をあげて名人挑戦権を獲得するのはとても難しいことであるといえます。
若手棋士には勢いがありますが、若さゆえの勢いだけでは、名人奪取はおろか、挑戦まででさえもたどり着けません。
つまり、名人挑戦や奪取までいった棋士の実力は、正真正銘の本物であるわけです。
このことは、若手時代に名人戦で戦い、その後も将棋界のトップに君臨し続けた羽生・森内らが実証してくれています。
そう考えると、今回の豊島将之新名人誕生はものすごい快挙だといえますね。
将棋界の勢力争いでは今後、豊島名人が中心になることは間違いなく、長らくトップに君臨する可能性も高いですね!
将棋界では、羽生世代と渡辺明ニ冠が強かったこともあり、
平成生まれの棋士たちは中々タイトル戦挑戦のチャンスを得られないという状況がずっと続いていたように思います。
しかし、今回の豊島新名人誕生に象徴されるように、近年は、若手の勢いが将棋界のトップにせまるほどになってきています。
他の棋戦に目を向ければ、平成生まれでタイトルを獲得した棋士はいます。
菅井竜也七段は、王位というタイトルを羽生善治九段から奪取しましたし、
斎藤慎太郎王座は、中村太地七段から王座のタイトルを奪取しました。
また、後でもでてきますが、高見泰地七段は、タイトル戦となってから初の叡王戦で、
金井六段とお互い挑戦者として叡王を争い、叡王の座につきました。
このうち、平成生まれとして初めてタイトルを獲得したのは、菅井竜也七段でした。
それ以前から、タイトル獲得にはいたらないまでも、
豊島名人や永瀬叡王、斎藤王座、千田七段などが
上の世代にタイトル戦で挑戦していました。
上記以外の平成生まれ棋士のタイトル獲得は、豊島名人の棋聖、王位、名人の奪取と、後述の永瀬叡王の叡王奪取です。
名人よりも一足早く決着した叡王戦も、平成生まれの棋士たちの戦いでした。
叡王戦は比較的最近になってタイトル戦として認められたのですが、
将棋界で、名人・竜王という二つのビッグタイトルに続いて、
3番目に大きなタイトルという、中々のポジションです。
正式にタイトル戦となった叡王戦で最初に優勝して叡王の座についたのが、
高見泰地・現七段でした。
先日の叡王7番勝負は、高見泰地叡王と永瀬拓矢七段の戦いで、
挑戦者の永瀬拓矢七段が勝利して、永瀬新叡王の誕生となりました。
両者ともに平成生まれ。
そう、平成31年から令和元年にかけて行われた叡王戦は、平成生まれ対決だったのです。
しかも、挑戦者決定戦も永瀬-菅井という同世代対決でした。
最初の平成生まれタイトル保持者の誕生は、2017年の出来事でしたが、その後次々と実現していった感じですね。
令和という新時代が始まりましたが、将棋界では、平成生まれの棋士たちがトップに君臨しています。
今後、この新しい波がさらに勢いを増していくのでしょうか?
豊島名人や永瀬叡王、斎藤王座を中心とした平成生まれの棋士たちが、
一気に将棋界の勢力図を塗りかえて新時代が始まってしまうのか、
とても興味深いところですね!
しかし、昭和生まれの棋士たちがそれを許さない可能性も十分にあります!
名人と並んで将棋でもっとも大きなタイトルである、竜王。
その座にいるのが広瀬章人竜王です。
広瀬竜王は、佐藤天彦九段よりも一つ上の世代なので、昭和生まれ。
あの永世7冠・羽生善治九段を破って竜王になったこともあり、
存在感のある棋士ですね。
勢いに乗る平成生まれの若手棋士たちと、今後戦いを繰り広げていく可能性が高いです。
長く竜王の座に君臨していたこともある渡辺明ニ冠。
羽生九段にその竜王を奪取され、A級から陥落するなど、不調が続いた渡辺ニ冠ですが、
その後、棋王を防衛し続けていますし、王将を奪取してニ冠になり、
順位戦でもB級1組で首位になってA級に復帰を決めるなど、むしろ絶好調に。
その復調した渡辺ニ冠ですが、なんと、棋聖戦で挑戦者になり、
豊島棋聖に挑戦することが決まっています!
とても楽しみですね!
今回は、平成生まれ初の名人の誕生のニュースを受けて、記事にしました。
記事の前半は、これまで平成生まれの名人が登場しなかった理由についての説明でした。
その後は、他棋戦での平成生まれの棋士たちの活躍や、今後昭和生まれの棋士たちの巻き返しへの期待感などを書いてみました。
特に、今度始まる、豊島-渡辺の棋聖戦は、とても大きな意味をもちそうなので、楽しみです!
上で触れた他、昭和生まれ棋士としては、若手で元タイトルホルダーである、
糸谷哲郎八段や中村太地七段といった強豪もいます。
もちろん、佐藤天彦九段も忘れてはいけませんね。
復調した渡辺明ニ冠と、まだまだ強い羽生世代に加えて、彼ら昭和の終わりごろに生まれた棋士たちが、
今後、平成生まれの棋士たちと戦いを繰り広げていくのでしょう。
新時代・令和においても、将棋界の勢力争いから目を離せませんね(^^)。