努力は報われないで無駄に終わることもある?将棋の場合で反論したい!

2019年4月、平成最後の月。

各学校で平成最後の入学式が行われたわけですが、

東京大学の入学式での祝辞が注目されたようです。

 

 

今回は、その祝辞のスピーチと直接の関係はまったくないのですが、

きっかけにして思いついたテーマについての話です。

 

わりと多くの人々が、努力してもどうせ報われないので無駄、というような考え方をする傾向があります。

ここでは、そのような考え方に対し、反論を試みます。

 

努力が報われないことがあるとすれば、

その努力は無駄になってしまうのか?

それを将棋の場合に話を絞って考えてみたいと思います。

 

 

 

将棋で努力が報われないとき

 

将棋に当てはめて考えるために、まずは色々整理しましょう。

 

将棋で努力が報われないと感じるときというのは、どういうときなのか?

将棋の努力としては、一局の将棋の中の努力という、わりと一瞬のものと、

一生のうちにどこまで将棋を極められるかとか、どこまで結果をだせるかというようなすごく長期的な目標に向けたものが考えられます。

特に長期的な努力の場合は、努力する人がアマチュアの場合とプロの場合とかで、状況や深刻さが結構変わってきます。

このことについてもう少しくわしくみていきます。

 

一局の将棋の中で努力が水の泡になることも

 

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すでに書いたように、努力にも、短期的な努力と長期的な努力があって、

今回はどちらかというと、長期的な話をしたいです。

 

でも、一応、短期的というか刹那的なものである、

一局の将棋の中での努力が報われないケースについても説明しておきます。

 

将棋は逆転のゲームといわれていて、

たった一手のミスで勝負がひっくりかえってしまうこともあります。

極端にいえば、序盤・中盤でずっとリードしていても、

終盤の最後の数手で致命的なミスをして負けてしまうことも、

原理的には起こりえます。

 

序盤から工夫を凝らして一生懸命に手を考えていたのであれば、

逆転されたときの落胆は大きいです。

 

 

一局の将棋から、そういう逆転負けなどの経験を通して、

現実の厳しさを疑似体験できる、という面もあるといえます。

人によっては、ゲームなどでそういう経験をするそうで、

子どものうちに、ゲームを通して、うまくいかない現実の厳しさを知れてよかった、といっている人もいたりします。

 

 

一方、将棋では、長期的な目標が報われるかどうかという話の場合は、

疑似体験というよりは、本当の現実の話になります。

 

勉強・研究量に棋力や結果がついてこない

 

将棋で対局の勝敗がより具体的な現実に影響してくる場合がある、というのはどういうことか説明しますね。

たとえば、プロの将棋棋士の人なら、タイトルをとれるかどうかとか順位戦で昇級できるかとか、

奨励会や研修会で棋士や女流棋士を目指す人ならプロになれるかどうか、とかですね。

 

私たちアマチュアにも、勝敗が大きく現実に影響することがあります。

大会出場したときに、入賞して賞状や景品をもらえるかどうかとか(^ ^)。

地区大会から県大会に進めるかどうかとか。

もっと多くの人に身近な例としては、将棋道場・将棋センターや、

将棋倶楽部24・将棋ウォーズなどのネット将棋で、

棋力(級や段)が上がるかどうか、などでしょうかね。

 

 

道場での昇級からタイトル獲得まで、レベルは人によって様々ですが、

頑張っても自分が欲しい結果(成績や棋力)が得られない、ということが、将棋ではあります。

ここでいう「頑張る」とはもちろん、将棋の定跡の勉強や研究とか、

練習将棋や詰将棋などによるトレーニングなどですね。

これらの勉強・研究の量のわりに、思ったほど結果が伸びてこない、というのが、「報われない」状態です。

 

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なぜ努力が報われないのか

 

努力したのに無駄になってしまった、報われなかった、と

思うことがあったとして、どうしてそうなってしまったのか、

どういうところに原因があるのでしょうか?

ここで少し考えてみましょう。

 

努力以上の結果を求めてしまう

 

将棋に限らず、努力したのに意味がなかった、という人の多くは、

単純に、求める結果に見合うほどの努力はしていなかった、

つまり、努力が足りなかっただけであることが多いと思います。

 

その場合は、勉強量のわりには成果がでない、と思ったとしても、

それは予想した必要な勉強量が正しくなかったがゆえの錯覚で、

本当はもっとたくさんしなければならなかった、と考えるのが正しいです。

 

 

棋力が低いと中々そういうことがわからないものですが。

わからないから、負けたときに無駄に悔しがったりしてしまいます。

自分よりも実力が上の相手にチャンスなく負けた場合は、悔しがるのではなく、感想戦で相手から学ぶようにした方がいいですね。

余談ですが、将棋の場合、だいたいアマチュア三段くらいになれば、

自分の実力の不足や相手の強さが、なんとくなくならわかるようになってくるようだと思っています。

 

 

将棋でも他のことでも、何かがうまくいかなくて嘆いて投げだしてしまいそうになったら、

まずは冷静になって、自分が十分に努力や準備をしてきたかどうか、見つめ直すといいでしょう。

 

 

ただ、(学校などの)勉強とかならともかく、将棋というのは対戦相手があるので、

結果をだせるかどうかに関わってくる自分だけが要因ではないというのも、勝負事であるがゆえの厳しい面ですよね(^^;)

次にする話は、そのことと関係があります。

 

才能があるライバルがたくさん

 

努力したけど思ったほどの成果がでなかったときに、

よく人が考えるのが、「自分には才能が足りないのでは?」

というようなことです。

 

 

確かに、圧倒的な才能があれば、他の多くの人よりも

少ない努力量でも大きな結果を残すことはできるのかもしれません。

 

事実、将棋の世界には、羽生善治九段や藤井聡太七段のような、

ライバルや先人たち含め誰もが認めるようなものすごい天才たちがいます。

 

 

将棋のプロを目指す子たちは、地元では天才といわれるような子たちばかりだそうです。

でも、誰もが羽生クラス、藤井クラスの天才というわけにはいきません。

 

さすがにそのクラスの天才ばかりと競争するわけではないでしょうけれど、

自分と同じかそれ以上の才能のある強敵たちと戦っていかなれけばなりません。

その厳しさを皆わかっているので、必然的に激しい競争になります。

勝負なので運が悪くて負けることもあるでしょうし、

勉強や研究がすぐには結果につながらないことも十分にあり得ます。

きっとそういうとき、努力が報われないと感じるでしょう。

 

 

アマチュアにも似たようなことがいえます。

 

私も、調子がいいときは、自分の将棋のセンスに強い自信をもつこともありますが、

そういう強いときの自分でも、同レベルの棋力(ニ段から四段くらい)のアマチュアと比べて、

圧倒的に強いわけではありません。

他の人も自分と同じかそれ以上に将棋をやってきているのだ、ということを身をもって実感することになります。

 

「努力は報われない」への反論

 

ここまでの内容から、将棋の世界では、特別な人以外は、

努力が結果に結びつかず無意味になってしまうことも多いのでは、

と思ってしまうかもしれません。

 

でも私は、将棋を一生懸命にやったことは、決して無駄にはなることはない、

という風な気がしています。

 

時間差で報われることもある

 

映画「泣き虫しょったんの奇跡」は将棋ファンや映画好きの中で

かなり話題になったのではないかと想像します。

 

映画の中では、主人公である、プロになれなかった元・奨励会員の「しょったん」が、

アマチュアとして大会で活躍し、プロ将棋へのアマチュア参加枠で出場して大活躍します。

その結果、プロになるための「試験」を行うことが認めれました。

しょったんは試験に合格し、一度は断ち切られたプロ棋士としての道を歩み始めます。

 

これは、現実の将棋界で実際にあった出来事なのです。

しょったんとは、瀬川五段のことで、藤井聡太四段(当時)とも順位戦で対局しました。

 

瀬川五段のおかげで、一度はプロをあきらめた奨励会員が、もう一度プロ棋士を目指す道ができました。

 

 

さらに、瀬川五段のおかげでできたプロ試験の規定によって、棋士を再び目指した元・奨励会員に、今泉健司・現四段がいます。

今泉四段が棋士になった経緯についての話はまた別の機会にできればと思いますが、

今泉四段の方は、なんと、テレビ棋戦であるNHK杯で藤井聡太七段に勝利しています!

 

 

このように、プロになるという目標が一度はかなわなかったけれど、

決して努力は無意味に終わってはおらず、時間差で報われたという例もあるのです。

 

他の分野で報われることもある

 

ただ、将棋の世界でこのように時間差で夢がかなうのは、

たまたまアマチュア時代の瀬川五段の活躍によりそういう制度ができたおかげであり、

他の世界ではそういうことはないでは、という思いもあると思います。

 

それはもっともなことです。

目指すものにもよりますが、一度夢をかなえられなかったら、もうニ度とチャンスがない、というのが多いかもれません。

将棋の場合でもそれは同じで、多くの人は、もともとの目標(プロになる)をかなえることはできません。

将棋の世界は、多くの敗者の上に成り立っているのです。

 

 

でも、棋士を目指し夢敗れた方たちは、少し違った形で努力が報われているようなのです。

 

奨励会退会後、対局以外の将棋関係の仕事をするようになる方もいます。

指導棋士という、対局ではなく、アマチュアへの指導のプロ資格もあるようです。

イベントでそういう方の指導対局を観たことがありますが、とても楽しそうに指導されていました。

 

 

将棋以外の分野で活躍されている元奨励会員の方もいます。

 

小説家の橋本長道さんは、将棋の小説を書かれています。

 

さきほど映画「泣き虫しょったんの奇跡」の話がでてきましたが、

その監督である豊田利晃さんも、元奨励会員でした。

 

橋本さんや豊田さんが、それぞれの道で活躍することができているのは、

もちろん、退会して将棋界を去った後に努力されたからだと思います。

でもきっと、プロ棋士を目指して将棋に励んだ経験が大きな力になったのだと想像します。

 

 

目標に向かって自分を高めていくことや、勝負に向かう精神、

感性や判断力など、将棋を通して得たものが、

巡り巡って、どこかで実を結ぶのだと、個人的には信じています。

 

そしてこのようなことは、将棋以外の分野でプロを目指した人にも当てはまるはずです。

 

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まとめ

 

今回の話は、将棋における「報われない努力」についてでした。

 

当ブログ「将棋ブログ執筆の新定跡を開発する日記」が

将棋ジャンルのブログであることもあり、

話をわかりやすくするために将棋に限定した話になりました。

 

でも、将棋以外の多くのことに当てはまると思いますので、

この記事をきっかけにしてご自身の考えを深めていただければ幸いです(_ _)

 

 

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