第77期名人戦7番勝負第1局初日は千日手!ルールや前例についてまとめ

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豊島将之ニ冠が佐藤天彦名人に挑戦中の、
第77期名人戦7番勝負第1局で、

一日目に千日手(せんにちて)になって話題になりました。

 

これはかなり珍しい出来事らしく、
インターネット上では、特に、過去の前例についてなど、
色々な情報が出されました。

何種類かの情報がでている(?)みたいなので、
正直すべてを把握しきれない、とか、ややこしい、と感じている方も
少なくないかもしれませんね。

 

そこで、名人戦第1局初日の千日手に関連した
情報のまとめに挑戦してみたいと思います。
前例の話とともに、再開のタイミングや持ち時間に関するルール、という点にも焦点を当てます。

 

 

 

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第77期名人戦7番勝負第1局一日目

 

過去の前例とかの話の前にまずは、おおまかな状況説明もしておきたいと思います。
そして、指し直し局の開始時刻や持ち時間とかのルールについて先にみてみましょう。

 

角換わりの最新定跡からの千日手

 

2019(平成31)年4月10日(水)の、第77期名人戦7番勝負第1局初日の将棋は、
プロの将棋界で研究が盛んな角換わり腰かけ銀の戦型になりました。
序盤の定跡が今でも進化を続けている、難解な戦法です。

 

先手の佐藤天彦名人が何か研究手を用意しているのかと思われましたが、
午後3時過ぎごろに、あっさりと千日手になりました。

 

佐藤名人は、桂馬を跳ねていき、敵陣で成り捨て、角を打ち込み、
馬(竜馬)をつくることができたのですが、そこから手をつくることが
難しかったようです。

 

15時過ぎに千日手成立で指し直し局は二日目に

 

一日目の15時を少し過ぎた、15時2分に指された手の時点で、
同一手順が4回繰り返されたので、千日手が成立しました。

 

千日手になった将棋は引き分け扱いになり、
改めて「指し直し局」が行われます。
なお、対局の勝敗のカウントには、指し直し局の結果のみが使われます。

 

 

15時を過ぎた時点での千日手成立となったため、
名人戦の規定により、指し直し局は、改めて二日目の朝開始となりました。
つまり、初日はもう将棋は指さず、対局当事者たちは解散、という感じ(?)になったわけですね。

 

ゆっくり休んでリフレッシュし、新鮮な気持ちで
翌日の対局に臨めるわけで、対局者にとって優しい規定のような気がします。
(本当のところはどうなのか、本人たちに聞かなければわかりませんが。)

 

 

ただ、現地の大盤解説会14時半開始だったので、
騒然となったかもしれませんね。
解説会開始後すぐ千日手が成立して、
対局は二日目までおあずけになってしまったわけですので(^^;)

 

 

現地のお客さんは、名人戦の戦いはほとんど観られなかったけれど、
その分、解説の棋士の先生たちがサービスをしてくれたことと想像します(^^)。

 

もちろん、将棋を観にきたお客さんは多少残念だったとは思います。
でも、プロの将棋を楽しむ方法は、将棋の内容を理解すること以外にもあって、
それが将棋のいいところなんですよね。
きっと現地解説会に行った人たちは、そのことを再確認できたのではないでしょうか?

 

15時前の千日手成立ならすぐ指し直し局開始だった

 

ちなみに、15時を過ぎるに千日手になった場合は、
一日目に指し直し局開始となります。

 

その場合は、1時間の休憩をはさんでの再開(つまり指し直し局スタート)です。

 

 

千日手を成立させた手の着手が、15時2分と微妙な時間であったことから、
一日目に指し直される可能性も十分にあったのかもしれません。

 

そもそも両対局者が、1日目の15時以降の千日手成立の場合は、

指し直し開始は二日目から、というルールを知っていたのかどうか?

後述のように、初日で千日手ということ自体がかなりレアなものなので、

それに関連する規定をまったく知らなかった可能性もありえますし。

このあたりも、とても気になるところですね(^-^)。

 

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15時以降千日手成立の指し直し局の持ち時間

 

持ち時間のルールについても触れておきましょう。

 

インターネットで検索などして調べるとすぐに、

「持ち時間折半のルール」というものに行きつきますね。

 

「持ち時間折半」ではなく「消費時間折半」のルール

 

折半というのも中々に難しい言葉ですが・・・

ようするに、「半分こ」にして分け合う、というような意味ですね。

 

なんとなく、「持ち時間折半」といわれると、

残った持ち時間の合計を、これまでの消費時間に関わらず、

両対局者で分け合うのかな、と思ってしまいます。

 

過去には実際にそのようなルールがあって、

後述の王将戦の中原-中村戦で千日手になったときには、

適用されていました。

 

 

しかし、佐藤-豊島の第77期名人戦第1局の千日手に対して適用されたルールは、

それとは違います。

 

それは、「消費時間の折半」といった方がいいものです。

 

 

というのは、15時を少し過ぎた時刻で一日目を終え、改めて二日目の対局となった場合、

一日目終了時点の持ち時間をそのまま使うのでは、多すぎます。

対局が深夜になっても終わらない、というようなことも起こりえてしまいます。

 

そのため、千日手が成立した時刻から、本来予定されていた一日目終了時刻(夕方)までの時間を、

持ち時間から差し引く必要があるのです。

そうすることで、普通に一日目を夕方まで対局した場合と同じ程度に持ち時間を減らすことができるからです。

この減らす時間は、両対局者で平等にします。

 

別のいい方をすると、それぞれの対局者の一日目の消費時間に、

千日手成立時刻から、一日目終了予定時刻までの時間を2で割ったものを足してやり、

名人戦の一人当たりの持ち時間である9時間からそれを引いたものが、

二日目の持ち時間として与えられる、ということになります。

 

名人戦や初日・第一局の千日手の過去の前例は?

 

さて、それでは、「名人戦の一日目の千日手」に関連する過去の前例についてまとめていきたと思います!

 

「名人戦での千日手」としては森内-羽生戦以来16年振り

 

そもそも、名人戦での千日手指し直し自体が、

かなり久し振りの出来事だったとのことです。

 

 

前に名人戦で千日手になったのは16年前で、2003年に行われた第61期名人戦です。

森内俊之名人(当時)に、羽生善治竜王(当時)が挑戦したシリーズでした。

千日手となったのは、その第4局です。

 

【参考ページ(外部リンク)】 第1局は千日手 佐藤天彦名人、豊島将之二冠譲らず 明日、豊島二冠が先手で指し直し 名人戦で16年ぶり/名人戦七番勝負

 

ちなみにこのときの名人戦は、羽生竜王(当時)が4連勝のストレート勝ちで、

名人奪取に成功しました。

その約半年後の第16期竜王戦7番勝負では逆に、

挑戦者の森内俊之九段が羽生善治竜王(当時)に4連勝し、

竜王位をストレートで奪取しています。

 

16年前の千日手はそういう、羽生-森内戦という、

黄金期にあった同世代のライバル棋士同士の、

将棋界の頂点を争う戦いの中で起きた出来事だったのですね。

 

2日制タイトル戦の初日の千日手は33年振り

 

2日制のタイトル戦での一日目千日手の前例は、

1986年(昭和61年)に行われた、第35期王将戦の第3局で、

2日制の初日千日手はそれ以来、33年振りの出来事でした。

 

このシリーズでは、中原誠王将(当時)に中村修六段(当時)が挑戦しました。

ちなみに結果は4勝2敗で中村修六段(当時)がタイトル奪取でした。

この勝利は、1987年(昭和62年)の、将棋界の「戦国時代」、つまり、7大タイトルを7名の棋士が分け合う状態が生じた原因の一つとなりました。

 

【参考ページ(外部リンク)】 注目の名人戦第1局はまさかの千日手に。1日目の千日手は超レアケース

 

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名人戦での一日目千日手は43年振り(??)

 

名人戦の千日手についてインターネットで検索して調べると、

色々な情報がでてきますが、裏をとるのが難しいものもあります。

 

特に気になるのが、以下の記事です。

【参考ページ(外部リンク)】 将棋名人戦、16年ぶりに千日手 第1局指し直しに

 

最後の方に、次のような一文があります。

 

1日目に千日手となるのは43年ぶりという。

 

43年振り??

 

先ほどの王将戦の前例は、33年前でしたね。

単純に、「33」を「43」とタイプミスした可能性も考えられます。

 

 

ただ、さらに調べを進めると、43年前の、第34期名人戦、

中原誠名人(当時)に大内延介八段(当時)が挑戦したシリーズの、

第4局が、千日手になっていたことがわかりました。

 

この第4局が本当に初日千日手だったのか?

さらに調べを進めました。

 

なんと、第34期名人戦の両対局者の食事についての情報が書かれたページをみつけることができました。

【参考ページ(外部リンク)】 第34期名人戦七番勝負

 

これによると、5月7日、8日の日程で開催された第4局で千日手が成立した後、

日を改めて5月15日に第4局の千日手指し直し局が行われたようです。

 

残念ながら、第4局は、千日手となった対局、指し直し局ともに、

食事についての情報はありませんでした。

 

ただ、次のような記述がありました。

 

第4局指し直し局は、持時間各2時間23分で行われたため二日目はなし

 

指し直し局の持ち時間が、たったの2時間23分ということで、

千日手局の時点でかなりの消費時間が使われていたと考えられます。

現在の名人戦の持ち時間は、各9時間。

当時も同じかはわかりませんが、違ったとしても、大幅には違わないはず。

 

なので、千日手となるまでに両対局者はそれぞれ6時間くらいは持ち時間を消費したはずで、

それは、一日では不可能です。

なので、千日手が成立したのは、二日目だったはず、ということになりそうです。

 

ですので、一日目に千日手となるのは43年振り、という記述は、

正しくなくて、33年振りと打とうとしてタイピングでミスしたものと考えられます。

 

まとめ

 

佐藤天彦名人と豊島将之ニ冠が戦ってる第77期名人戦の第1局で、

初日で千日手となるというとても珍しい自体が置きました。

 

指し直し局開始のタイミングや、今回のケースでの二日目の持ち時間の決め方のルールなどについてまとめ、

名人戦での千日手や、2日制のタイトル戦の一日目千日手が、いつ以来であるか、

ということに関しても情報をまとめました。

 

詳しい方には今更の情報かもしれませんが、

そういう方には、備忘録的に使っていただけたら幸いです(_ _)

 

個人的には、特に、「持ち時間折半のルール」について学べたのと、

過去のタイトル戦についても調べることができたので、

楽しい記事執筆でした。

 

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