将棋連盟の「プロ棋士の退会」とは?前例は伝説の棋士・永作芳也五段!

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竹俣紅女流初段が、将棋連盟退会するという知らせ、驚きましたね。
ところで、将棋連盟からの「退会」って、女流ではなく男性棋士ではこれまでにいたのかな、と思いました。

 

あと、将棋に詳しい人の場合、単に「退会」っていうと、奨励会退会のことと思いますよね。
しかも、「退会」に関してはちょうど、「泣き虫しょったんの奇跡」とかで
世間にも知られるようになってきたころだったのではないでしょうか?

 

 

というわけで(?)、「棋士を引退」することと、「将棋連盟を退会」することの違いと、
男性棋士の退会の前例について、調べてみました。

 

 

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将棋界における2つの「退会」

 

将棋界には、2種類の「退会」があります。
奨励会(や研修会)の退会と、将棋連盟(からの棋士・女流棋士)の退会です。
それぞれ、どういうことなのか、みてみましょう。

 

奨励会・研修会の退会

 

プロ将棋に詳しくない人のために説明すると、
将棋のプロには、「女流棋士」と通常の「棋士」があります。

 

通常のプロ棋士の段位って四段からなんですが、
では三段以下って存在しないのかというと、ちゃんとあるんです。

 

三段以下は、プロになる前の人たちで、「奨励会」という機関で、
プロを目指すためにしのぎを削り合っています。

 

 

奨励会には、規定の年齢を過ぎると所属資格が失われる、「年齢制限」があります。
初段昇段に対する年齢制限と、三段からの四段昇段(すなわちプロデビュー)に対する年齢制限があって、
規定の年齢までに昇段を決めなければ、「退会」しなければいけません。

 

【参考記事: 奨励会入会試験での受験する級ごとの年齢制限の違いや初段入会について

 

かなり手短な説明になってしまいましたが、以上が奨励会の退会です。

 

(なお、これらの段位は、アマチュアのものとは全く異なります。)

 

 

それから、奨励会を目指す子たちや、女流棋士を目指す子たちが入る「研修会」という組織もあります。
研修会にも年齢制限があるので、年齢オーバーとなった場合、やはり「退会」となります。

 

【参考記事: 将棋の研修会とは何をするところ?入会時の学年や棋力、月謝なども

 

【参考記事: 将棋の女流棋士になるには3通りの方法?必要な棋力や年齢の条件も

 

棋士・女流棋士の退会

 

「日本将棋連盟定款」の「任意退会」の項目をみると、将棋連盟の会員は、
退会届を提出することにより、いつでも自分の意思で、連盟を退会できることがわかります。

 

そう、そもそも将棋連盟所属の棋士や女流棋士とは、連盟の「会員」なのです。
正確には、棋士と、女流棋士のうち、(日本将棋連盟所属で)女流四段以上か
タイトル(女流のタイトルだと思います)保持者は正会員で、
女流2級以上女流三段以下の女流棋士と、指導棋士が「準会員」だそうです。

 

これにより、女流棋士の仮資格である「女流3級」は、会員資格が与えられていないこともわかりますね。
(もっとも女流3級の制度は今後なくなりますが。)

 

ですので、将棋連盟所属の棋士・女流棋士は制度上、いつでもプロをやめる手続きができる、
ということになります。
ただしその場合、将棋連盟の「会員」という立場を失ってしまう、ということになってしまうわけです。

 

 

一方、引退の場合は、日本将棋連盟定款の会員のところでも、引退に関することは書かれていないので、
どうやら「引退」によっては、将棋連盟会員でなくなることはないようです。

 

実際、有名な加藤一二三九段は引退棋士ですが、指導対局など、将棋関係の活動をしています。
イベントなどでの指導対局は、主催者側が将棋連盟を介して依頼するようになっているはずなので、
退会棋士がそういう場で指導対局を行うことは、おそらくできません。

 

また、加藤先生の「九段」という肩書は、引退しても現役時代と変わらず名乗っていますが、
これが「退会」した棋士の場合だと、段位表記はなくなるものと思われます。

 

 

将棋連盟との関わりがなくならない分、「引退」の方がメリットがありますが、
引退はいつでもできるのではなく、公式戦での成績が下がってから何年もたたなければ
引退までいきません。

 

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退会の前例は伝説の棋士・永作芳也五段

 

将棋連盟の退会には、竹俣紅女流以前に、前例があります。
プロ棋士の立場から退会したのが、元・棋士五段の、永作芳也さんです。

 

【参考ページ(外部リンク): 30年ぶりの駒…元プロ棋士が郷里・茨城で将棋教室 「第2の藤井」誕生の夢

 

遅くに将棋棋士を目指すも、四段昇段

 

永作さんは、将棋を始めたのが遅かったわけではありませんが、
プロになろうと志したのは、高校生のころで、普通の棋士に比べるとかなり遅いスタートでした。

 

それでも18歳で奨励会に6級で入会し、6年ほどで24歳で四段昇段、つまりプロデビュー。

 

最年少棋士デビュー記録をもつ藤井聡太七段は、6級から四段まで4年間ほどですので、
永作さんの昇級・昇段スピードも相当早いといえますね。
きっとものすごい努力をされたのだと思います。

 

ちなみに、現在の制度だと、18歳での6級入会はできません。
その意味では、もう永作さんのような人はでてこない、ということができます。

 

五段昇段するも、将棋連盟を退会

 

他の棋士に比べて、将棋のプロへの道のスタートが遅かった永作芳也さんですが、
公式戦100勝によって、四段から五段に昇段しました。

 

しかしながら、その約2年後に、将棋連盟を退会しました。
理由は、他にやりたいことがあったから、だそうです。

 

2017年から茨城県で将棋教室を

 

連盟退会後は、将棋と関わりのない仕事をされていたようですが、
2017年7月に将棋教室をオープンしました。

 

このころの永作さんは、62歳ごろ。
故郷に戻って暮らし始めたのをきっかけに、将棋で地域貢献したいとの思いをもつようになっていたところ、
地元の方から、孫たちに将棋を教えてほしいとの依頼があり、教室を開くにいたったそうです。

 

その後も茨城県内に次々と教室を開き、なんと4か所もあるとか。

 

2018年の第31期竜王戦第3局が茨城県鹿嶋市の鹿島神宮で行われた際には、
タイトル100期を目指す羽生善治竜王に約30年ぶりに、前夜祭で再開したそうです。
羽生先生だけでなく、他の棋士、森内俊之九段や中村修九段とも会っています。

 

将棋連盟を退会によって去った永作芳也さんですが、
連盟との関係は良好のようですよ^-^

 

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まとめ

 

将棋連盟の退会について調べてみました。

 

大きく分けて2種類の退会について説明しました。
プロになる前の、養成機関からの(強制的な)退会と、
プロになってからの将棋連盟からの(本人の意思による)退会があります。

 

引退と退会との違いについても、(おそらくこうだというものを)触れておきました。

 

そして、過去の棋士の退会の(おそらく唯一の)前例である永作芳也氏の退会とその後について書きました。
一度は将棋から離れたものの、再び将棋に関わるようになり普及に力を尽くされているということを知り、感動でした。

 

永作さんはやりたいことがあって退会した、とのことでした。
竹俣紅女流初段も、退会によって「女流棋士」ではなく一人の学生(タレントでもありますが)になるわけですが、
是非、夢や目標をみつけていってほしいですね^^

 

個人的に気になるのは、退会した棋士(引退棋士もそうですが)たちは、教室などを通して将棋と関わることはできても、
プレーヤーとして将棋を指す上では、勝負になる相手が中々見つからず、退屈してしまうのではないか、という点です。
元「棋士」という立場では、退会して将棋連盟との関わりがなくなったとしても、アマチュアの大会にはでにくいでしょうし。
ただ、せっかくの将棋の才能ですから、退会や引退した棋士たちにも、たまには
真剣勝負の場が与えられるといいな、と、個人的には思いますね。

 

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